佐藤優、立花隆の相違点

1,目的意識

 教養主義の生き残りといえる知識人、佐藤優立花隆を比較する。

2,根拠

 立花隆佐藤優著作を通じて判断する。

3,論旨

 佐藤優にはどんな相手でも相談者の立場を攻撃することをせず、極力相手のためになるように語る「神父性」とでも表現できるものがあるが、立花隆にはない。佐藤優は自分で否定するほどには政治性を放棄しているわけではないが、立花隆はあくまでもジャーナリズム、第三者性を崩すことはない。

4,本論

 佐藤優は元外交官という経歴のせいか政治性を放棄しきることができておらず、その主張も明確で両論併記とは行かない。これはジャーナリズムとはかけ離れた姿勢といえる。特に現在では沖縄での辺野古移設反対活動に参加しており、基金の創設者に名を連ねる。まさに佐藤優にとっては北方領土問題におけるムネオハウス事件以来の「政治の季節」ということができる、危険な状態であるとも言える。その一方で、有料メールマガジンの中では相談を常時受け付けており、どんな相談にも原則回答するということである。これは佐藤の中の神父としての部分が現れる状態と言える。

 立花隆は様々なメディアにおける影響力を行使しつつ、コンスタントに著作を世に送り出すことで訴える、純粋なジャーナリズムを行使するに過ぎない。立花隆は時の政権に批判をすることがあってもそれが運動にはせず、常に一歩引いた場所にいる。立花隆の活動に政治性を見いだせるのは立花隆の名を世に轟かせた田中角栄研究がほぼ唯一ではないだろうか。しかし田中角栄批判の急先鋒とも見られる立花隆だが、必ずしも人格的には批判的ではなく、近年の東日本大震災以降における田中角栄待望論のような流れのなかで田中角栄を見直すような発言を行っている。

 佐藤優は経歴によるものか主張に政治上敏感な話題であっても明確な立場表明をする。これが佐藤優の特徴でもあり弱点でもある。近未来に佐藤優が再び国策捜査により有罪になる可能性は否定されない。多少、陰謀論的になってしまうことが申し訳ないが佐藤優の立場を中央政府が理解する可能性は小さい。