日本の政治勢力の”転倒” 保守を名乗る急進右派、革新を自認する左派

1,目的意識

 必ずしも明確ではない政治勢力のレッテルについて論点整理を試みる。

2,根拠

  宇野 重規保守主義とは何か』 他

3,論旨

 現代における日本の政治世界の相互不理解は、互いに行ったレッテル貼りが間違ったまま是正されず今日を迎えているためでもある。

4,本論

 日本において勘違いされやすいが、保守主義というものは消極的な立場を意味するものではない。また、自民党の政治的立ち位置を保守主義というのは必ずしも正しくはない。

 保守主義というものは明確に定義することの難しいものだが、社会を維持していくために必要な改革をしていく、その中で価値観を維持していくという政治的立場及び思想である。社会制度を改革していくことを拒否することを意味しない。

 現代における右派には憲法9条改正賛成という立場が多いが、戦後日本の国の形を変更するという意味ではこれは保守であるとは言いがたい。むしろ護憲という名目で改正反対を標榜している左派の方が国のかたちを維持するという意味では保守であるといえなくもない。もちろん、国のかたちを変えることが國體を守ることに資するならばそれを反対しないことが保守主義だが、現代においてただちにそういえるほどの現象はおきていない。ちなみにここで左派急進派とはどういった立場を考えるかといえば非武装地帯などが考えられる。

 戦前の軍部における思想が急進的でむしろ保守よりも左派に近かったのはむしろ当然で社会制度を一気呵成に破壊しユートピア的に作り変えるという人工的な思想であることは共通している。保守主義においてはそのような試みは失敗するという考えからそれを反対する。そういう意味では明治日本に回帰させようという自民党の一部のイデオローグを保守主義と呼ぶのは正しくない。彼らは右派であるのだ。

【書評】立花隆・著『脳を鍛える―東大講義「人間の現在」』978-4101387253

1,書評目的

 立花隆という人間をよく知るために重要なことが多数記載されていると考えるため。立花隆の教養観、学問観などを通じて立花隆著作の行間をより正確に読み解くことが可能になると考える。

2,10段階評価

 10点

3,書評

 立花隆東京大学で行った講義をまとめたのが本書である。刊行当初は続編が刊行される予定だったようだが今日に至るまで刊行されていない。とにかく立花隆がその瞬間に考えていたことが明瞭にまとめられているといった印象。立花隆の仕事のように分野が限定されずに脳科学から古典まで幅広く、悪く言えば内容があちこちに飛ぶ。

 立花隆は本書で教養とは「思想の毒を解毒することのできる知識群」という表現をしているが、またあるときには教養とは学問を学び取るための基礎知識群であるという風に表現しているため教養観にはそれほど固定的なものを持っていない可能性が指摘できる。

 冒頭で痛烈に東大生を批判しているが立花隆自身も東京大学で学士号を修めているため批判は愛あればこそ。立花隆にとっては東京大学の学生のレベルが低下したという問題意識がこの時点から形成されていたようだが、本書ではその原因を入試制度に求める。この後もこの問題意識が継続したようで、その問題意識から書かれたのが『東大生はバカになったか』である。ただこれは雑誌の連載をまとめたものなのだが、連載5回目以降は『天皇と東大』という書籍になって刊行されていることからもわかる通り、東京大学の歴史を紐解くには日本の近代化というテーマ、そして第二次世界大戦というテーマを切り離すことがどうしてもできないようで、立花隆は「東大生の質」というテーマから東京大学と日本の近代史、天皇制度の戦前の揺れなどを取り扱はなくてはならなくなってしまった。ちなみに『天皇と東大』も名著であり、追って書評したい。

4、本書を読むべき人

 大学で学ぶということの意味を見失った人、これから大学生活を迎える人、学問に身を捧げる覚悟を決めようとしている人、日本の近現代史を学び直したい人

佐藤優、立花隆の相違点

1,目的意識

 教養主義の生き残りといえる知識人、佐藤優立花隆を比較する。

2,根拠

 立花隆佐藤優著作を通じて判断する。

3,論旨

 佐藤優にはどんな相手でも相談者の立場を攻撃することをせず、極力相手のためになるように語る「神父性」とでも表現できるものがあるが、立花隆にはない。佐藤優は自分で否定するほどには政治性を放棄しているわけではないが、立花隆はあくまでもジャーナリズム、第三者性を崩すことはない。

4,本論

 佐藤優は元外交官という経歴のせいか政治性を放棄しきることができておらず、その主張も明確で両論併記とは行かない。これはジャーナリズムとはかけ離れた姿勢といえる。特に現在では沖縄での辺野古移設反対活動に参加しており、基金の創設者に名を連ねる。まさに佐藤優にとっては北方領土問題におけるムネオハウス事件以来の「政治の季節」ということができる、危険な状態であるとも言える。その一方で、有料メールマガジンの中では相談を常時受け付けており、どんな相談にも原則回答するということである。これは佐藤の中の神父としての部分が現れる状態と言える。

 立花隆は様々なメディアにおける影響力を行使しつつ、コンスタントに著作を世に送り出すことで訴える、純粋なジャーナリズムを行使するに過ぎない。立花隆は時の政権に批判をすることがあってもそれが運動にはせず、常に一歩引いた場所にいる。立花隆の活動に政治性を見いだせるのは立花隆の名を世に轟かせた田中角栄研究がほぼ唯一ではないだろうか。しかし田中角栄批判の急先鋒とも見られる立花隆だが、必ずしも人格的には批判的ではなく、近年の東日本大震災以降における田中角栄待望論のような流れのなかで田中角栄を見直すような発言を行っている。

 佐藤優は経歴によるものか主張に政治上敏感な話題であっても明確な立場表明をする。これが佐藤優の特徴でもあり弱点でもある。近未来に佐藤優が再び国策捜査により有罪になる可能性は否定されない。多少、陰謀論的になってしまうことが申し訳ないが佐藤優の立場を中央政府が理解する可能性は小さい。

教養主義の死と新教養主義の必要性

1,目的意識

 教養主義の現代における不在とその問題点、教養主義を現代によみがえらせる試みとその存在意義について考察する。

2,根拠

 筆者の所感によるものであり根拠はなくエビデンスもないことをお断りしておく。

3,主張概論

 現代に「反知性主義」が横行しているという仮定が正しければ、反知性主義を解毒する方法を模索する必要がある。それの一つが教養主義の復権であると考える。

4,本論

 現代には反知性主義という姿勢が跋扈している。反知性主義はプロフェッショナリズムの否定による過剰な知性への反対運動であるということができる。

 反知性主義の発生・発展にはSNSの普及が影響したという仮説がある。特定のプロフェッショナルがその専門を超えた分野に意見し、その意見が的はずれであることを引き合いに出してそのプロフェッショナルのプロフェッショナリズムをも否定するということだ。筆者もこの仮説に賛成する。

 教養主義とは教養の獲得により人格の形成などを目指す生き方論でもあるが、ユビキタス社会の半ば実現しているといえる今日では知識を頭脳に入れておくということ自体が軽視されることも多い。筆者はこれには反対である。知らない分野について調べることはできない。専門知識の索引としての教養知識というのは確かにある。教養にはそのような役割も要請される。

 専門家軽視が呼びこむ「市民感覚を取り入れる」という観点は問題が多い。これは素人であることを何よりも尊ぶ精神だが、専門家の権威が失墜することと素人が専門家よりも正しいということは論理的に飛躍している関係にある。

 知識暗記主義の一時的後退が反「教養主義」主義を持ち込むのは必然だが、教養主義の有用性が失われているわけではない。今日の情報社会に適合した、情報の集めかた、情報の保存の仕方などの新しい教養主義、「新教養主義」といえるものを打ち立てて行くことが反知性主義を打ち倒す正道であると考える。

LGBTロビーと障害者ロビーの連携

1,目的意識

 昨今、LGBTなどのマイノリティの権利保護がにわかに話題になり耳鼻を集めることとなることが増えた。マイノリティの社会における権利獲得と障害者福祉が連動して語られることは専門的な場ではともかくより砕けた場では少ないことからその視座から所感を表明したい。

2,根拠

 筆者の個人的な所感であり根拠は筆者の社会経験以上のものではなくエビデンスもないことをお断りしておく。

3,主張の概論

 LGBTロビイングは障害者ロビーと連携しなくてはならない、または少なくとも敵対してはならない。

4,本論

 筆者の所感としては、LGBT方面は障害者に対しては厳しい目を持っていることが多いように思う。各種マイノリティの人たちがお世話になることの多い精神科クリニックなどではどうやらLGBT関係者が明確に障害者を蔑視していることがあるようだ(限られた事例の可能性がある)。

 LGBTと障害者福祉をリンケージして考えるという意見はともすればLGBTの障害者化として受け取られるため、非常にLGBT側のプライドを毀損する可能性の高い主張だが、開かれた社会への道としては障害者とLGBTを社会の一員として内包していくということが必須課題である、というロジックで連携して開かれた社会を実現するよう訴えていくことが効果的かつ必須であると考えることができる。

 また、LGBTと違い障害者というのは何らかの欠損がある、自助努力では解決できない問題が多いという主張は半分あたりだが、例えばそれは知的障害者などに当てはまることで、発達障害者の中でも精神障害者では知的に遅れの見られない者が多く配慮あれば社会への内包は実現可能性が高い。

 政治力学的にもLGBTと障害者関係者が分裂することでその政治力を毀損してしまう恐れは大きい。

 LGBT側が障害者を「何もできない人」「蔑視して差し支えない人」という見方を持っているとそのロジックを逆用されてしまうおそれがある。