教養主義の死と新教養主義の必要性

1,目的意識

 教養主義の現代における不在とその問題点、教養主義を現代によみがえらせる試みとその存在意義について考察する。

2,根拠

 筆者の所感によるものであり根拠はなくエビデンスもないことをお断りしておく。

3,主張概論

 現代に「反知性主義」が横行しているという仮定が正しければ、反知性主義を解毒する方法を模索する必要がある。それの一つが教養主義の復権であると考える。

4,本論

 現代には反知性主義という姿勢が跋扈している。反知性主義はプロフェッショナリズムの否定による過剰な知性への反対運動であるということができる。

 反知性主義の発生・発展にはSNSの普及が影響したという仮説がある。特定のプロフェッショナルがその専門を超えた分野に意見し、その意見が的はずれであることを引き合いに出してそのプロフェッショナルのプロフェッショナリズムをも否定するということだ。筆者もこの仮説に賛成する。

 教養主義とは教養の獲得により人格の形成などを目指す生き方論でもあるが、ユビキタス社会の半ば実現しているといえる今日では知識を頭脳に入れておくということ自体が軽視されることも多い。筆者はこれには反対である。知らない分野について調べることはできない。専門知識の索引としての教養知識というのは確かにある。教養にはそのような役割も要請される。

 専門家軽視が呼びこむ「市民感覚を取り入れる」という観点は問題が多い。これは素人であることを何よりも尊ぶ精神だが、専門家の権威が失墜することと素人が専門家よりも正しいということは論理的に飛躍している関係にある。

 知識暗記主義の一時的後退が反「教養主義」主義を持ち込むのは必然だが、教養主義の有用性が失われているわけではない。今日の情報社会に適合した、情報の集めかた、情報の保存の仕方などの新しい教養主義、「新教養主義」といえるものを打ち立てて行くことが反知性主義を打ち倒す正道であると考える。